PR
スポンサーリンク

解釈違いとは どちらも正しいのに揉める話

【トレンド速報】
本ページには広告・PRが含まれています。

好きな作品の感想を検索していたら、解釈違い、という言葉が何度も出てきました。

キャラクターが公式で変わってしまった、二次創作の設定が受け入れられない。そういう場面で使われているようです。

でも、違う、と言いながら、誰も間違っている、とは言いません。この言い回し、よく見ると不思議な構造をしているんです。

この記事では、なぜこの言葉が喧嘩を避けながら不満を伝える道具になったのか、何段も掘っていきます。

スポンサーリンク

🎭 誰も間違っていないのに揉めます

まず、この言葉の一番の特徴から見ていきます。

解釈違いは、キャラクターや物語に対する解釈が、自分と他人、あるいは自分と公式との間で違っていることを表す言葉です。

普通、意見が対立すると、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、という決着を探したくなります。でも、解釈違いという言葉は、その決着を最初からあきらめている点が特徴です。

なぜ、決着をつけないのか。

フィクションには正解がない

作品の登場人物には、実在の人間のような、確かめられる正解が存在しません。作者が書いていない場面でキャラクターがどう感じ、どう動くか。それは誰にも証明できません。

だから、自分の解釈と相手の解釈のどちらが正しいか、という議論自体が、そもそも成立しないんです。証明する手段がない以上、勝ち負けを決められません。

感情の否定は人格の否定になる

もう一つの理由は、対象が感情に強く結びついているからです。

推しているキャラクターへの解釈は、多くの場合、その人自身の思い入れと一体になっています。あなたの解釈は間違っている、と言うことは、あなたのその作品への向き合い方が間違っている、と言うのに近く聞こえてしまいます。

だから、間違っている、という強い言葉を避けて、違う、という言葉に着地させる。これが、解釈違いという表現が選ばれた理由だと考えられます。

⚖️ 二種類の解釈違いがあります

一口に解釈違いと言っても、起きる場面によって性質が違います。

二次創作をめぐる解釈違い

一つ目は、二次創作の場面です。ファンが公式の設定をもとに、独自の物語やカップリングを作るとき、そこに描かれるキャラクター像が、自分の思っているキャラクター像とずれることがあります。

この場合、二次創作をしている人は、公式ではないと自覚した上で作っています。だから、見る側も、合わないと感じたら、その作品から離れる、という選択で対応できます。作者と読者のあいだに、これは私の解釈です、という暗黙の了解があるからです。

公式作品をめぐる解釈違い

二つ目は、公式そのものの場面です。長く続く連載作品で、キャラクターの性格が徐々に変わっていく、あるいは新しい展開で、これまで積み上げてきた人物像と違う行動を取る。

このとき、ファンは離れる、という選択がしにくくなります。二次創作なら見なければいいだけですが、公式の場合、それがそのキャラクターの正式な姿として、今後も続いていくからです。

だから、公式との解釈違いは、二次創作との解釈違いより、深い喪失感を伴うことが多いとされています。自分が長年好きだった対象が、自分の知らないものに変わってしまう感覚に近いのだと思います。

🍣 世界観のずれも解釈違いと呼ばれます

キャラクターの性格だけでなく、もう一つ別の種類の解釈違いがあります。作品の世界観そのものに対するものです。

例えば、完全に文化の異なる異世界が舞台の作品で、そこに現実世界特有の料理が違和感なく登場してしまう場面を考えてみます。その世界の中で成立するはずの空気が、一瞬で崩れてしまいます。

なぜ、こういうずれも解釈違いと呼ばれるのか。

積み上げてきた像が壊れる感覚

理由は、キャラクターの性格も、世界観の設定も、読者が頭の中に積み上げてきた、この作品はこういうものだ、という一つの像だからです。

その像の、どの部分がずれても、受け取る側にとっては同じ種類の違和感になります。キャラクターの言動がずれるのも、世界の設定がずれるのも、根っこは同じ、積み上げてきた像が壊れる感覚です。

スタンスの違いにまで意味が広がった

だから解釈違いという言葉は、キャラクターの性格の話だけでなく、作品の楽しみ方や、原作至上主義かどうかといった、スタンスの違いにまで、意味を広げて使われるようになっています。

原作だけを正典として扱いたい人と、二次創作も含めて作品世界を楽しみたい人。この二つの立場の違いも、広い意味での解釈違いに含まれるとされています。

つまり、解釈違いという言葉は、最初はキャラクターの言動というピンポイントな不満から始まって、今では作品との向き合い方そのものの違いまで、扱う範囲が広がっているということです。言葉が指す範囲が広がるほど、この言葉を使う場面も増えていきます。

🔄 対義語の解釈一致と、似て非なる推し変

解釈違いには、対になる言葉があります。解釈一致です。

自分の考えているキャラクター像と、実際に描かれた場面が一致したときに使われます。解釈違いが不満を表す言葉なら、解釈一致は満足を表す言葉です。

対義語があることの意味

この対義語が存在すること自体が、解釈違いという言葉の性質をよく表していると思います。単なる悪口や不満の言葉であれば、わざわざ対になる肯定の言葉は生まれません。

解釈という営み自体が、ファンにとって前向きな行為として捉えられているからこそ、うまくいったときのための言葉も必要になった。そう考えると、解釈違いは、ネガティブな言葉というより、自分なりの読み方を大事にしている人たちの間で育った言葉だと言えると思います。

解釈違いの先にある推し変

解釈違いが積み重なった結果として、応援する対象そのものを切り替える、推し変、という行動につながることがあります。

推し変は、それまで応援していた対象を完全にやめて、別の対象に切り替えることを指す言葉です。単に気になる人が増えた、という状態とは違って、一本化するという点が特徴です。

解釈違いは、作品やキャラクターとの向き合い方が変わる話です。一方の推し変は、応援する対象そのものが変わる話です。似ているようで、扱っている層が違います。

解釈違いを何度も経験して、それでもその対象を応援し続ける人もいれば、解釈違いの積み重ねが、推し変のきっかけになる人もいます。同じ出来事に対して、続ける人と変える人に分かれる。この分かれ道の存在も、解釈違いという言葉が、単純な良し悪しでは語れない理由の一つだと思います。

似た形で、感情の強さを表すために回りくどい言い方を選ぶ言葉には、他にもあります。

しか勝たんとは 文法的には矛盾した言葉

🙅 使い方を間違えると攻撃になります

便利な言葉ですが、使い方には注意が必要です。

一つの問題は、この言葉が、わがままの言い換えとして使われてしまう場合があることです。キャラやストーリーの整合性ではなく、単に自分の思い通りにならないから、という理由で、解釈違い、という言葉を使って相手を攻撃するケースが指摘されています。

もともとこの言葉は、どちらが悪いとも言えない、という前提の上に成り立っています。だから、解釈違いです、と言われた側が、深く落ち込む必要はない場面も多いはずです。

ただ、本当にキャラクターの描写や展開に一貫性がなく、多くの人が同じように感じている場合は、単なるわがままとは違う、正当な指摘であることもあります。

受け取る側は、これが単なる好みの違いなのか、それとも作品としての一貫性の問題なのかを、冷静に見分ける必要があります。言われた側も、言う側も、これは違う、という言葉の裏に、証明できない主観があることを忘れないほうがいいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました