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FF外から失礼しますとは 日本独自の作法

【トレンド速報】
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Xで知らない人からのリプライを見たら、冒頭に、FF外から失礼します、と書いてありました。

意味はなんとなく分かります。フォローしていない者です、ということですよね。

でも、なぜこの一言をわざわざ添えるんでしょうか。しかも、この習慣、実は日本の外にはほとんど存在しないんです。

この記事では、いつ生まれて、なぜ広まったのか、何段も掘っていきます。

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🔤 FFはフォロー・フォロワーの略です

まず、言葉そのものの意味から見ていきます。

FFは、フォロー・フォロワーの略です。FF外から失礼します、を分解すると、フォロー・フォロワーの関係にない者ですが、横から失礼します、という意味になります。

つまり、投稿主と自分のあいだに、フォローという関係が存在しないことを、あらかじめ相手に伝える一言です。F外失、F失、といった略し方もされています。

ここで、素朴な疑問が浮かびます。なぜ、フォロー関係の有無を、わざわざ申告する必要があるのか。

誰でも見られる場所なのに境界線を引く

Xの投稿は、基本的に誰でも見られる、開かれた場所です。フォローしていなくても、リプライを送ること自体には、技術的な制約がありません。

にもかかわらず、フォロー外の人がコメントするのは、何かしら踏み込んだ行為である、という感覚が生まれています。開かれているはずの場所に、フォローという見えない境界線が引かれているわけです。

知らない人に話しかけてはいけないという現実の感覚の持ち込み

もう一つの理由は、現実の対人関係の感覚を、ネットの空間にそのまま持ち込んでいることです。

知らない人に急に声をかけてはいけない、という現実でのマナーが、フォローしていない人には急にコメントしてはいけない、という形でSNSに移植された。そう説明する見方があります。

現実なら、街ですれ違っただけの人に話しかけることは、たしかに珍しい行為です。その感覚のまま、SNSでの発言も測ってしまっている。そう考えると、FF外から失礼します、は、現実のルールをオンラインに当てはめようとした結果、生まれた表現だと言えそうです。

📅 起源は三段階に分かれています

いつからこの言葉が使われ始めたのか。調べてみると、単純な一つの起点ではなく、三段階の積み重ねがあったことが分かります。

もっとも古いのは2009年のフォロー外から失礼します

一番古い記録は、フォロー外から失礼します、というフレーズです。2009年5月から使われていたとされています。

次に2010年のフォロワー外から失礼します

次に現れたのが、フォロワー外から失礼します、です。こちらは2010年から使われ始めたとされています。

略した形のFF外から失礼しますは2012年から

そして、フォローとフォロワーの両方をまとめて略した、FF外から失礼します、という形が登場したのは2012年です。これがもっとも古いとされる投稿の時期です。

つまり、いきなり今の形が生まれたのではなく、フォロー外、フォロワー外、という別々の言い方が先にあって、それが後から一つの略語に統合された、という順番です。言葉が磨かれていく過程が、三段階のタイムラグとして記録に残っているのは、面白い点だと思います。

📈 急増したのは2016年から2017年です

言葉が生まれた時期と、広く使われるようになった時期は、別の話です。

検索の動向を見ると、FF外から失礼します、というフレーズは2016年から徐々に増え始めて、2017年にかけて急増しています。フォロー外から失礼します、のほうは、もう少し早く、2014年の夏ごろから増加が続いています。

生まれてから広まるまでに数年の空白がある

2012年に生まれた言葉が、実際に広く使われ出すまでには、4年ほどの空白があったことになります。この空白の期間、言葉は一部のユーザーのあいだだけで使われていて、まだ一般的な習慣にはなっていませんでした。

なぜ2016年から2017年に急増したのか

なぜ、このタイミングで急増したのか。はっきりした単一の理由は確認できていません。ただ、SNSの利用者そのものが拡大していく時期と重なっていることは指摘できます。利用者が増えれば、知らない人同士がやり取りする機会も増え、その分、境界線を意識させる表現の需要も高まったと考えられます。

言葉は、生まれてすぐに広まるわけではなく、使う人の数がある程度の密度に達したときに、初めて一般化する。FF外から失礼します、は、そのプロセスを数字として確認できる、珍しい例だと思います。

🌏 日本の外では通用しない習慣です

もう一つ、この言葉の性質を考えるうえで欠かせない事実があります。

このフレーズを使う習慣は、日本独自の文化だとされています。海外には、これに相当する定型のマナー表現は存在しないと言われています。

集団の輪を大事にする文化との結びつき

なぜ、日本でだけこの習慣が根付いたのか。一つの見方は、周囲との関係性を大事にする、日本人の気質と結びついているというものです。知らない相手に対しても、いきなり踏み込むのではなく、一歩下がって配慮を示す。その姿勢が、この一言に表れているという解釈です。

開かれた場のはずが閉じた前提を持ち込んでいる

一方で、この習慣そのものに疑問を投げかける見方もあります。Xは本来、誰でも自由にやり取りできる、開かれた場所です。そこに、フォローしているかどうか、という閉じた前提をわざわざ持ち込んでいる。対等であるはずの関係に、あらかじめ距離や上下を設定してしまっている、という指摘です。

この二つの見方は、同じ現象を、良い方向から見るか、悪い方向から見るかの違いです。配慮と捉えるか、不要な壁と捉えるか。この二重性が、この言葉をめぐる論争の土台になっています。

⚖️ 使わないと失礼という逆転現象が起きています

この言葉には、もう一つ、興味深いねじれがあります。

もともとFF外から失礼します、は、フォローしていない相手への配慮として、自発的に使われ始めた言葉でした。ところが、この習慣が広く浸透しすぎた結果、今度は逆に、この一言を書かないこと自体が失礼だ、という空気が一部で生まれています。

選択だった行為が義務に変わる

最初は、使いたい人が使う、選択的な表現だったはずです。それが、使わないと無礼だと受け取られる、という状況にまで発展すると、性質がまったく変わってしまいます。自由な気遣いだったものが、守らなければならない規則のようになるわけです。

賛否が分かれ続ける理由

実際に、使わないのは無礼だ、と考える人と、わざわざ書く必要はない、と考える人のあいだで、意見が分かれ続けています。あるアンケート調査では、この前置きを不要だと考える人が多数を占める一方で、およそ4人に1人は必要だと考えている、という結果も出ています。

つまり、多数派と少数派がはっきり分かれた状態のまま、決着がつかずに今も続いている習慣だということです。マナーとして定着しきったわけでも、廃れたわけでもない、宙ぶらりんの状態にある。それが、FF外から失礼します、という言葉の今の立ち位置だと思います。

似た形で、SNSの中で生まれた独自の作法には、他にもあります。

ネット構文が痛く見えるのはなぜか

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